エロゲと「二次元系」の本についての考察的ななにか

エロゲー、アダルトゲームと、漫画などの「二次元系」の本についてたかヰの考えたことを書き連ねるなにか

エロゲーが今後売れるために必要なことの考察 エロゲーが売れなくなった理由から

今回は、エロゲーが今後売れるために必要なことを自分なりに考えたため、それを書いていきます。

 

まず、エロゲーは売れなくなっています。

この人は、「あかべぇそふとつぅ」というブランドのプロデューサーの方です。「あかべぇそふとつぅ」は、『W.L.O.世界恋愛機構』 や、『車輪の国、向日葵の少女』などを制作しています。

 

エロゲーが売れなくなった理由に関しては、下記の記事で考察されています。

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僕が今回述べることで重要な部分を引用させていただきます。

 

結果、ストーリーゲームが増えた。ゲーム性を少なくしてストーリー性だけで勝負すると、ラノベと競合することになってしまう。

そして、競合状態に陥った。

 

エロゲーの売り上げの減少理由の一つに、ストーリー重視のエロゲーが増え、それによってライトノベルと競合していることがあげられています。そのことによって、

少なからぬエロゲーが「ゲームだからできること」「エロゲーだからできること」を失ってしまった。そして、それは今も続いている。

 

という事態が発生したの述べられています。

 

ここに着眼したのが、僕が考察した「エロゲーが今後売れるために必要なこと」であります。

 

まず、ストーリー重視のエロゲーは増えたのならば、ゲーム性を増やしてみてはどうか、という選択が思い浮かぶでしょう。

 

しかしながら、これは失敗すると思います。というのも、エロゲーからゲーム性が少なくなったのは、ストーリー重視に舵を切ったためではないからです。

 

エロゲーの購買層には、当然、エロシーンを見るために買っている人もいます。その場合、エロシーンを見るために難しいアクションとか、頭を使うシミュレーションとかをヨシとしない人がおります。

 

このような需要から、エロゲーからはそもそもゲーム性がどんどん省かれていっていきました。

 

また、ストーリー重視のエロゲー、ゲーム性が少ないエロゲーが増え、それに慣れている層が現在の主要なエロゲープレイヤーです。彼らにとってはエロゲーとはゲーム性が少ないものであり、今更ゲーム性を増やしてくれても、それを「労力」と捉えると考えています。

 

だから、ゲーム性を増やすという案ではエロゲーが「エロゲーだからできること」を獲得したとしても、売れることには結びつかないでしょう。

 

では、ゲーム性を増やさずに「エロゲーだからできること」を得るにはどうすればよいのか?

 

僕は、ゲームという特性に目をつけるべきだと考えました。

 

ゲームというのはそもそも、小説や映画などと比べて、自分、プレイヤーが主人公であるという認識を得やすい媒体です。主人公を操作するのはプレイヤーであるがゆえの特性でしょう。

 

しかし、これまでのストーリー重視のエロゲーは、この「プレイヤー=主人公」の図式を活かしてこなかったと感じています。

 

ストーリー重視のエロゲーは、まるで映画やオペラのごとく、主人公やヒロインたち登場人物のお話を読むものとなっていました。もちろん、主人公目線で話しが進むため、そこにプレイヤーが自身を投影することで「プレイヤー=主人公」の図式をプレイヤーが認識することができるでしょう。

 

しかし、それは小説や映画でも同じです。プレイヤーが自ら「プレイヤー=主人公」の図式となるように投影するのは、プレイヤーの選択であり、そうではないプレイヤーもいます。

 

ゲームというのはプレイヤーが自ら「プレイヤー=主人公」の図式を認識するために労力を使わずとも、「プレイヤー=主人公」であることを自覚できるという点に利点があるのです。ドラゴンクエストをプレイするとき、わざわざ「この主人公は俺だ」と自分で思ったでしょうか? 最初に名前を入力するときから、おのずと「俺が主人公だな」と思っていたのではないでしょうか。

 

すなわち、エロゲーが今後売れるために必要なのは、名前をプレイヤー自身の名前に変えることができることに代表されるような、おのずと「プレイヤー=主人公」であると認識させる仕組みです。

 

このことに成功した例として僕があげるのが、hibikiworksの『LOVELY×CATION』『PRETTY×CATION』シリーズです。僕は『PRETTY×CATION』シリーズのみプレイしているので、『PRETTY×CATION』のほうを例にして進めます。

 

本シリーズは、ラブリーコールシステムというものを採用し、主人公の名前をプレイヤーのものに変えるだけでなく、事前に登録されたいくつもの呼び名から自分の呼ばれ方を選べます。声優さんに一つ一つ登録してもらったものなので、不自然なものではありません。

 

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参考:ラブリーコールシステム

 

この主人公の名前を自分のものにすることができるというシステム、『PRETTY×CATION』シリーズがはじめてではありません。AQUAPLUSの『ToHeart2』など、有名なキャラクター重視のゲームでも採用されています。

 

しかし、このシステムには欠点があります。フルボイス作品であると、その名前部分だけ呼ばれないのです。当然ですね、データがないのですから。

 

これを苦肉の策で乗り越えてきたのが各メーカーです。名前が変更されたら名前部分の音声をカットしたもの、名前が変更されたら「あなた」とか「アンタ」など、どの名前にも適用できるこそあど言葉に音声を変えたもの、そもそもシナリオ中に名前を呼ぶ部分がないものなど……。

 

しかし、これらはかえってプレイヤーの違和感を加速させます。なぜって、いくら自然とはいえ名前部分が呼ばれないのはおかしいし、恋人になってからもこそあど言葉でプレイヤーを指すヒロインもおかしいし、そもそもヒロインが名前を呼ばないって、この主人公名前忘れられてんじゃないのか? などなど。それこそ、こそあど言葉で呼ばれるとか、名前を忘れられているのか、一部プレイヤーの心の傷をえぐるようなものです。小中高で名前を呼ばれた回数が0、「お前」「そこの」「これ」などなどをうっかり自分の本名だと思いかねない人生を歩んできた僕とか。

 

話しを戻して。名前を音声で呼ばれるというのは、プレイヤーにとって悲願であったわけです。

 

名前を音声で呼ぶことなどで「プレイヤー=主人公」の図式を確立し、大ヒットを記録したのがコナミデジタルエンタテインメントの『ラブプラス』シリーズです。『ラブプラス』は「プレイヤー=主人公」の図式を確立しただけでなく、現実での時間の流れ方とゲーム内時間を同期させることで、まさに「このヒロインは人間である」という、どんな創作物でも大事なことをプレイヤーに認識させ、なおかつ、「このヒロインは俺(=プレイヤー)のことが好きなんだ!」と思わせた作品です。

 

「ヒロインはキャラではなく人間」「ヒロインは俺が好き」であるというのは、当たり前なのですが、大事なことであります。

 

『PRETTY×CATION』シリーズも、この基本はばっちり押さえてあり、プレイヤーにおって「ヒロインは人間」であり、「ヒロインは俺のことが好き」なのであります。僕のことを希美ちゃんは好きなのであります。

 

また、名前を音声で呼ぶこと以外にも『PRETTY×CATION』シリーズは力をつくし、「プレイヤー=主人公」の認識をより強固なものとしています。

 

例としてあげるのは、ラブリーショットシステムです。これは、イベントCGにおいて、PCの画面上にQRコードが表示されるもの。これをスマートフォンやケータイで読み取ると、イベントCGがダウンロードできます。

 

イベントCGをダウンロードさせるだけなら、こんな手間はいりません。しかし、このシステムの狙いは、そのイベントにおいて「実際にプレイヤーのスマホやケータイのカメラを起動する」ことです。その動作が含まれることにより、プレイヤーはたとえQRコードで読み取っただけだと分かっていても、「ヒロインとの思い出をカメラで記録した」わけです。

 

また、自分のスマートフォンやケータイにそのヒロインとのイベントCGがデータとして残るため、ふと、スマホのギャラリーアプリを開くと、そのヒロインとの思い出が表示されます。二次元の、画面の中の存在であるヒロインとの思い出が、自分のいる三次元を侵食していくわけです。

 

例をあげた体験はライトノベルや映画ではできないことです。ゲームでしかなしえないことを活かして、プレイヤーにおのずと自分が主人公であることを認識させるわけです。

 

エロゲーが今後売れるために必要なことは、この「プレイヤー=主人公」を自然とプレイヤーに思わせることです。このことこそが、「エロゲーだからできること」という価値を付随させるものとなります。

 

追記:「プレイヤー=主人公」にするときに大事だと思うこと

 

僕が感じたことですが、「プレイヤー=主人公」を確立する際に大事なことをあげようかと思います。

 

それは、ターゲットのプレイヤー層が「うまくいっていたらなれていた自分」を主人公の人格に据えることです。

 

ドラゴンクエストならば、ターゲットは男の子の子供、「強くて優しい」主人公なわけです。

 

ポイントは、「うまくいっていたらなれていた自分」であることです。たとえば、フロントウイングの『グリザイアの果実』の主人公、風間雄二くん。『グリザイアの果実』など、『グリザイア』シリーズは僕も大好きな作品ですが、さすがに雄二くんと自分を同化させることはできません。身体能力もそうだし、メンタルもそう、女性遍歴にしろ、すべてが自分はたとえ人生がうまくいっていたとしても彼のようにはなれません。

 

しかし、現実の僕の人格がエロゲーの主人公であったら。これの場合、そもそも女の子を攻略することはないでしょう。『P×C』であるならば、希美ちゃんとはクラスメイトでしかなく、小町先生に関してはおっぱいでけーと思うだけ、咲良ちゃんとレーチェに関してはおそらく知り合うことさえないでしょう。

 

ターゲットの人格をそのまま持ってきては「んなわけねーだろ!」という気持ちが強くなり、反対にターゲットとかけ離れた人格にすると「こんなんなれっこないよぉ」という気持ちが生まれ、どちらにせよ、「プレイヤー=主人公」の魔法が解けてしまうわけです。

 

それゆえ、ターゲットのプレイヤー層が、自分は主人公であると思える範囲で、女の子と仲良くなれる範囲の人格を設定する。そういう意味で、「うまくいっていたらなれていた自分」と表現しました。

 

おまけ:『グリザイアの果実』など、『グリザイア』シリーズ

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フロントウイングが2011年2月25日にリリースしたゲーム。『果実』『迷宮』『楽園』の3部作でとりあえずの結末を迎える。そのあと『グリザイア:ファントムトリガー』が出た。とりあえず、3部作について述べる。

 

主人公の風間雄二くんと、いろいろ訳ありな子を集めた学園での学園生活などを描いた作品。学園生活「など」。「など」の部分を話すとネタバレとなるので話さない。主人公の癖が強い。メインライターの藤崎竜太氏のせいだと思う。藤崎氏はインタビュー風コラムにて、インタビュアーに「普段のお仕事は軍人ですか?」と言われ、「ただのチンピラだよ」とか答えている。雄二くんのおかげでいくらか海兵隊っぽい言葉が学べたというプレイヤーは多分多い。

 

ヒロインも癖が強い。良い風にいうとキャラクターが濃い。全員訳ありなわけで、個別ルートに進むと「きっついなあ……」って感じのストーリーも多い。特にあるヒロインは本当に過去編がきつい。けどどれもストーリー面白いんだからすごい。

 

その後の『迷宮』はファンディスク的な内容(というわけでもないけど)、『楽園』にて『果実』『迷宮』で残された謎が明らかになる。

 

作品中にでてくるデイブ教授のおまけ(ショートショート・デイブ)がなんだかんだで好き。

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こんな感じの格言を言ってくる。共感できる自分が嫌だ。特に好きなのは、「海でのHは男のロマンだよね!」みたいなやつ。大変共感できる。